2009-02-16

必要のないエネルギーを手放す瞑想。

必要のないエネルギーを手放すのに、効果的だと思った方法があるので、ご紹介してみます。


1.まず、静かに座って目を閉じます(リラックスできればどんな状態でも良いと思います)。

2.天使を呼び(何人でも良いと思いますし、他の高次の存在でも良いと思います)、「必要のないエネルギーを手放したい」ということを伝える、または意図します。

3.天使たちに、野菜を引き抜くように、必要のないエネルギーを引き抜いてもらいます。
その時、ガラクタやゴミが引っ張られていくイメージが浮かぶかもしれませんし、何かの象徴が出てくるかもしれません。それを、天に向かってどんどん引っ張っていってもらいます。

4.全部抜けたイメージや感覚がしたら、お礼を言って終わります。


この方法は、ドリーン・バーチューさんの『エンジェル・ヒーリングCD』というCDの中の、誘導瞑想の部分で、バケツに不安や心配など、必要のないものを入れ、天使に持っていってもらうというものとほとんど同じといえると思うのですが、瞑想時に自分でやってみた時に、自然に今回ご紹介した方法のようになり、それでとてもスッキリしたので、記事にしてみたいと思いました。
少しでもお役に立てば幸いです。
posted by 在音 at 23:12 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記。

2008-09-13

選択し、決めるということ。

たとえ高次の存在のアドバイスでも、とても偉い、すごいとされている人の言葉でも、どんなに尊敬している人の考えでも、受け入れるか、受け入れないか、行動に移すか、移さないか……それは全て自分で選び、決めることが出来ます。
当たり前のことではあるのですが、それを意識しておくことは、大切なことなのではないかと思います。
posted by 在音 at 10:02 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記。

2008-07-17

日記のススメ。

『日記をつけると良い』というのは、色々なところで言われていると思うのですが、僕もオススメしたいと思います。
でも、その日のことを思い出して綴るような日記ではなく、書きたい時に書いて、好きなように書く日記です。
そして、ブログなどで日記をつけている方もいらっしゃると思うのですが、誰にも公開しない、自分しか見ない日記です。

僕は以前、フリーソフトを使い、PCで日記をつけていたのですが、なかなか続きませんでした。それは、『PCを立ち上げて、日記ソフトを起動する』ということが、大きくかかわっていたのではないかと思います。「書こう!」と思う時と、タイミングが合わないことが結構あるんですよね。
ここの辺りが上手く調節できる方は、PCで書いても良いと思いますし、携帯などを利用しても便利かと思うのですが、僕は、手書きをオススメしたいです。
それは、『自由度』が高いからです。
たとえば、気分によって、大きい字で書きたい時もあるかもしれないですし、縦書きにしたい時もあるかもしれません。急に絵や記号が描きたくなったり、書いておいたメモを貼り付けたい時もあるかもしれません。そういうことを考えると、手書きが便利だと思います。

それで、時系列とか、きちんとした文章とか、なんにも気にせずに、書きたい時に、書きたいことを書きます。
もちろん、普通の日記の時もあるでしょうし、感じたことを一言だけ書くかもしれません。後でやろうと思っていることを忘れないように書いたり、未来に向けてのメッセージを書くかもしれません。オラクルカードを一日の初めに引いて、その意味やメッセージを書き留めて、あとで振り返れるようにしたり、本などにあるワークの内容を書いてみたり、唐突に浮かんだイメージを描くかもしれません。
とにかく、自由です。

こうやって書き留めることで、色々なことが整理され、たくさんの気づきが得られると思います。何より、結構楽しいです。
内容をどうしても見られたくない、書いたものが残ってしまうのがいやだ……という場合は、それを書いた紙を燃やしたり、破って捨てても良いと思います。
こういったことは、『浄化』の『儀式』として使われる場合がありますが、実際、スッキリするのではないかと思います。これがデジタルのデータだったら、あまり意味がないかもしれません。PCに書いたものを、Deleteキーで削除しても、恐らく、あまり実感は湧かないのではないでしょうか。

せっかくなので、気に入ったデザインだったり、好きなメーカーのノートを用意するのも楽しいかもしれないですね。書くものにも凝ってみるとか。ただ、自由奔放に使うこと前提で、ですが……(もったいなくて使えない! だと意味がないと思うので)。

日記、良いと思います。
posted by 在音 at 01:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記。

2008-05-04

朝と夜の『儀式』。

ウィリアム・レーネンさんというサイキックの方がいらっしゃるのですが、その方の本から、簡単に出来る『儀式』をご紹介したいと思います。

まず、朝、目がさめたら、軽く伸びをし、「今日は、新しい日です。この新しい日は光と愛に満たされています」と言います。
そして、夜寝る前には、「今日は終わり、完了しました」と言います。
これだけです。

朝起きたときの状態は、結構一日に影響すると思うのですが、こういった宣言をすることで、ポジティヴに一日をクリエイトしていく『流れ』を生み出すことが出来るのではないかと思います。また、寝る前の宣言は、その日一日を祝福し、完了することで、その日の経験や出来事を睡眠に持ち込まず、よい休息がとれるようになるとのことです。
また、生活が不規則な方の場合も、宣言をすることで、一日に『区切り』をつけ、気持ちを切り替えるのに役に立つように思います。

本にも、上記以外の宣言も載っているのですが、同じような意味合いであれば、自分の言いやすい、ピッタリと来る宣言にしても良いと思います。僕は、その時によって多少違いますが、合掌し、「今日は、新しい日です。私は素晴らしい日をクリエイトしています」、「今日は無事完了しました。ありがとうございました」などと言っています。
この『儀式』をし始めてから、何となく良い感じがしています。

今回はこの『儀式』のことを記事にしたかったので、『オススメ。』カテゴリには入れなかったのですが、本も読みやすく、在り方、考え方の参考になると思いますし、エクササイズなども色々載っていて、面白かったです。

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posted by 在音 at 22:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記。

何気なく、出来ること。

ご存知の方もいらっしゃると思うのですが、イーココロ!というサイトさんがあります。
ここでは、色々な形で、チャリティー団体への寄付が出来るようになっています。

このブログでも、クリック募金のブログパーツを貼り付けていますが(イーココロ!さんのものも新たに加えました)、そういった方法での募金だったり、あとは、無料会員登録して、資料請求をしたり、協賛しているサイトさんでショッピングをしたりすることで、『募金ポイント』というものが貯まり、それを寄付に使うことが出来ます。

協賛しているサイトさんは多く、有名なところも多いです。たとえば、楽天市場さんでよく買い物をする方は、イーココロ!さん経由にすれば、どのショップさんで買い物をしても、募金ポイントが貯まります。その際に、楽天ポイントが減ったり、手数料を取られたりすることもありません。普段買い物をする時と同じです。募金ポイントは広告によってまかなわれるので、利用者には料金は発生しません。

また、支援したいNGO/NPOを選べるのも特徴です。
普通に募金をすることも可能ですし、たくさんの団体さんが登録されているので、趣旨に合った団体さんを見つけるのにも便利なのではないかと思います。

普段していることで、支援ができるというのは、素晴らしいことだと思ったので、ご紹介させていただきました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
posted by 在音 at 13:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記。

2008-03-12

『許し』について。

色々なところで、『許す』ということの大切さが説かれています。
実際、『許し』は絶大なパワーを持っていると、僕も思います。

ただ、これも一緒に説明されていることが多いのですが、たとえば、誰かに酷いことをされたとして、それを『許す』というのは、その酷い行為を認めたり、仕方のないものとして受け入れたりすることではありません。悪いことは悪いことですし、酷いことは酷いことなんです。

それはそれとして、なかなか言葉で説明するのが難しいのですが、『許す』というのは、それとかかわり続け、苦しむことをやめたり、その状況を手放す、ということです。

なかなか難しいことですが、何かを許せない自分自身も『許す』ことが必要なのだと思います。
posted by 在音 at 03:21 | Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記。

2008-03-08

簡単リラックス呼吸法。

この方法は、ご存知の方もいらっしゃるとは思うのですが、もしかしたらお役に立つこともあるかと思い、書いてみることにしました。

リラックスのためには、呼吸というものが大きくかかわってくると思うのですが、いざ深呼吸をしようとか、呼吸を整えようとか思った時に、色々と気をとられてしまって、なかなかリラックスできないとか、時間がかかってしまうとか、そういうことがあるのではないかと思います。
そういう時には、こんな方法を試してみると、効果があるかもしれません。

まず、胸いっぱいに息を吸います。そして、2〜3秒ほど息を止めてから、一気に口から吐き出します。これをご自分のペースで、2〜3回繰り返してみてください。結構すっと力が抜けるのではないかと思います。

いったんこの方法できっかけをつかんでから、呼吸を整える方向に向かうと良いのではないかと思います。

以上のことが、お役に立てば幸いです。
posted by 在音 at 03:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記。

2008-02-20

シンプルな瞑想法。

先ほど、『なまけ者の3分間瞑想法』という本をご紹介しましたが、せっかくなので、その中からひとつ、瞑想法をご紹介したいと思います。
これは、本の中では『心を澄ます』というカテゴリに入り、基礎的で重要な位置を占めています。

1.まず、楽な姿勢で座ります。両手とも、親指と人差し指の先が軽く触れ合う形にします。

2.自然な呼吸をし、吐く息を心の中で数えます。
吸う→「1」→吸う→「2」→吸う→「3」→吸う→「4」と、4まで行ったら、また1に戻ります(もし、途中で数が分からなくなったら、また「1」に戻って行います)。


以上です。
これは基本形のような感じですが、呼吸を数えるだけなので、姿勢や手の形などは気にせず、何かの順番待ちの時とか、電車の中とか、お風呂に入っている時とか、いつ、どこでやっても構いません。
ただ、本には特に書かれていないのですが、個人的な意見としては、車の運転中とか、何らかの危険を伴う作業中には、やらないほうが良いのではないかと思います。

数も、必ずしも「4」までである必要もなくて、「8」までとか「10」までとか、数えられるまでとか、何でも良いようです。ただ、数を忘れてしまったら、「1」に戻ります。

呼吸は、リズムを変えたり整えたりしないで、自然なままにします。息が体を通っている感覚などを感じてみます。

とにかく、呼吸を数えることだけに集中します。何か雑念がわいてきたことに気づいたら、呼吸を数える思考と入れ替えます。

このシンプルな瞑想法だったら、忙しくて時間が取れなくても、日常の中に取り入れられるのではないかと思います。
良かったら、ぜひ試してみてくださいね。
posted by 在音 at 23:29 | Comment(5) | TrackBack(0) | 雑記。

2007-11-19

帰ってきました。

祖母の法要から帰ってきました。
おかげさまで、無事に三回忌が終わりました。ありがとうございました。

行く前から感じていたことなのですが、法要の時、お坊さんのお経を聞きながら、「ああ、もういないな」と感じました。
祖母は多分、今までよりもっと『高い』ところに行ったのだと思います。
それはきっと、近しい人だけではなく、もっと多くの人を手伝えるようになったということなのではないかと思います。
祖母は生前、僕を含め、色々な人に癒しを与えてきました。救われた気持ちになった人もいると思います。

今回の三回忌は、奇しくも早くに亡くなった祖父の五十回忌と一緒になりました(祖父が祖母と同じ月に亡くなったため、一緒に出来ました)。五十回忌の後は百年になってしまうのであまり行わず、大抵は五十回忌で終わりにするようです。
僕は話でしか聞いたことがありませんが、とても仲の良い夫婦だったそうです。あちらの世界でも、きっと仲良くやっていると思います。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
posted by 在音 at 00:47 | Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記。

2007-08-13

ペルセウス座流星群と新月。

皆さんは、ペルセウス座流星群は見られましたか?
僕は、5、6個でしたが、短い間に、はっきりと見られました。何だか嬉しかったです。
確か、早朝までは見ごろと言われていたと思うので、まだチャンスはあると思います。

そして、今日は8時3分に、獅子座の新月です。
僕は、毎回アファメーションシートをダウンロードさせていただいて、続けているのですが、以前のを見直してみると、意外に願い事が叶っていることに気づきました。
書いたそのままではないのですが、方向性として「叶ってるかも……」と思わされることがあります。あと、意外に『叶ったら困る願い』を書いていたりするんですよね。叶えたいことではあるけれど、じゃあ、もし叶ったら、大丈夫なのか? となった場合、「うーん……」と悩んでしまうような。そういう『怖れ』などが背後にある願いは、叶わないようです。
posted by 在音 at 03:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記。

2007-08-06

チャイルド・スポンサーシップとWWF。

いつもありがとうございます。
お休みでご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。
今後も、他の仕事などのスケジュールの関係で、急にお休みをいただくことがあるかもしれませんが、ご了承いただければ幸いです。宜しくお願い致します。

今はなくなってしまったのですが、以前メインで使っていたブログで、チャイルド・スポンサーシップのことを書いたことがあります。
この活動は、確か中学生くらいの時に新聞か何かで知って、参加したいとは思ったものの、やはり、その当時では無理で、そのまま忘れていたのですが、少し前、とある方のブログで拝見して思い出し、参加させていただくことを決めました。

それで、こちらは小学生だったかもしれないのですが、WWFのことも何かで知って、参加したいと思ったことがあるんですね。
こちらは、あの頃から月々500円でも参加できたのかは覚えていないのですが、いずれにしろ、子供には難しいものでした。
それで、これも最近、クリック募金に広告が出ていて思い出し、参加させていただくことに決めました。

こういった活動に参加する際に、色々な参加の方法があると思うのですが、募金も、ひとつの方法だと思います。
それで、その時の状況に応じて、募金する団体さんや金額を決めるのも良いと思いますが、月々定額を……というのも、ひとつの手段として、良いのではないかと思いました。
ご紹介した2つの団体さん以外でも、こういった募金方法を扱っているところが結構あるようなので、合うところを探してみるのも良いかもしれません。
posted by 在音 at 06:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記。

2007-07-18

Fire the Grid

終わりましたね。
僕がこのプロジェクトを初めて知ったのは、大分前だったので、「ずいぶん先だな」と思っていたのですが、気がつけば、あっという間でした。

瞑想を始めると、沢山のひとたちが今このとき、祈っているんだという実感が湧きました。サードアイが疼き、指先がぴりぴりしました。
途中、強い眠気に襲われたのですが、後半に向かっていくにつれ、意識が鮮明になってきて、体も、とても軽くなり、心が、穏やかで、満たされていくのを感じました。クラウンチャクラに、優しい感覚がありました。

この祈りが、よき道となりますように。
追記。
posted by 在音 at 02:49 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記。

2007-06-11

『体験』するということ・その2。

これから書くことは、以前に書いた『体験』するということ。という記事の、補足のような感じです。

アチューンメントなどで、『何も感じなかった』場合、もしかしたら、『感じる』の基準が厳しすぎるのかもしれません。

まず、ヴィジョンを『見る』ということなのですが、実際に、視覚で捉えられる方も、恐らくいらっしゃるとは思うんですね。
ただ、僕が「ヴィジョンを見た」などという場合は、視覚で捉えられている訳ではありません。
一番近いのは、「イメージが浮かぶ」という感じだと思います。
僕も、「他の方が、『見る』と言った場合、実際に視覚で捉えられているのだろうか」と気になって、ご縁のある方で、色々な体験をされている方に、視覚で捉えているのかをお聞きしたところ、その方も、「視覚ではなく、脳の後ろの方で見ている感じ」と仰っていました。

他にも、僕が『感じる』と言った場合は、ちょっと手が熱くなったり、びりびりしたりしても「感じる」ことになりますし、ご経験がある方も多いと思うのですが、歌や曲がどうしても頭から離れない時ってありますよね。頭の中で鳴っている感じで、気になってしまう……というような感じです。ああいう感じが、アチューンメント中に起これば、「音が聞こえた」になりますし、メッセージや、言葉も、一番的確だと思われる表現は、「何となく浮かぶ」になります。何となく、言葉が浮かんだ、何となく、そう言われた感じ……そのような感じになります。

僕も、以前に「アチューンメント中に何も感じなかった」と書いたことがあります。
でも、つい最近気づいたのですが、「全く何も感じなかった」と言い切ってしまうということは、全く無の状態で、アチューンメントを受けている、ということになってしまうと思うんです。
それは、長い修行を続けているお坊さんでも、難しいことだと思います。

ちょっと手が温かい感じがしたときに、もし、気のせいだとか、普通のことだと思われたとしても、意識をそこに向けてみてください。
そうすると、体験は広がっていきます。
頭に浮かぶイメージが、ただの雑念だったとしても(例えば、夕飯何にしようかな……とかでもです)、注目してみてください。イメージは、広がっていきます。
そして、そういうことを続けていると、感覚も、段々鋭くなっていきます。

以上のお話が、少しでもお役に立てば幸いです。
posted by 在音 at 23:09 | Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記。

2007-05-28

『The Secret ザ・シークレット』。



※見られない方は、直接以下のページに行かれてみてください。
http://jimaku.in/w/_b1GKGWJbE8/ae1POlJjQMK

『ザ・シークレット』というDVDの最初の20分をピックアップした動画です。
ご紹介したいと思い、貼り付けてみました。
posted by 在音 at 04:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記。

2007-05-11

エネルギーの価値。

エネルギーの価格を、あまり安くしてしまったり、無料にしてしまうと、エネルギーの価値が下がる、エネルギーを大切にするならば、ある程度のお金はいただくべきだ……というようなご意見を目にすることがあります。

そういった価値観にも共感できるところはありますし、お金がエネルギーである、ということにも頷けます。
ただ、疑問は残ります。

現在、色々なサイトさんで、アチューンメントなどが受けられますが、以前に比べ、相場は大分下がっていると思います。以前なら手が届かなかったアチューンメントも、受けやすくなっていると思います。僕のサイトも、その『受けやすい』サイトのひとつなのかもしれません。

ただ、僕は、エネルギーを粗末に扱っているつもりはありませんし、アチューンメントなどに、手を抜いているつもりもありません。
受けられる方も、低価格や無料でアチューンメントを受けたら、エネルギーを大事にしないのでしょうか?
僕は、そうは思いません。
高いお金を出してアチューンメントを受けても、粗末にする方は粗末にするでしょうし、低価格で受けても、大切にする方は大切にすると思います。
それに、お金で計る価値は、相対的です。同じ1万円でも、そのひとによって、価値は変わってきます。
また、例えば、ボランティア活動をされている方々は、きちんと仕事をしないのでしょうか?
高いお金をいただいている方々は、必ず良い仕事をするでしょうか?
そうとは限りませんよね。

そのエネルギーとご縁があるならば、必要なお金は用意できる……ということも、頷けるところはあります。
でも、日本中のひとが、同じ生活をしている訳ではありません。収入も様々ですし、どこにお金をかけられるかも違うと思います。
お金が用意できなければご縁がないのなら、使えるお金が少ない人は、ずっとご縁がないことになってしまいます。それは、「今収入が少なくて受けられなくても、いずれお金が出来た時に受けられる」という意味なのかもしれません。でも、それにも、疑問が残ります。

素晴らしいエネルギーだから、価値があるから、高い……という考え方にも、共感できます。でも、安ければ価値が下がる、ということにはならないと思います。お金は、エネルギーであると同時に、物質です。例えば、何かの物質を作る場合、安く作ろうと、コストを抑えれば質は落ちますし、良いものを作ろうと思えば、高くなります。
しかし、エネルギーの場合は、物質ではありません。それを、お金という『物質的な物差し』で計るのは難しいと思います。
けれども、現在の人間の営みの中では、最も妥当な物差しだと思いますし、『労働や時間に対する対価』を求めることは、当たり前のことだと思います。
でも、「安かろう悪かろう」にはならないと思うのです。
お金を使用して、エネルギーのやり取りをするのは、おかしくないと思います。しかし、『金額=エネルギーの価値』になってしまうのは、違うと思います。金額でエネルギーの価値を決めてしまうことの方が、エネルギーの本質から遠ざかってしまうのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、価格が高いのが悪いとは思いません。安くても高くても、提供する側とされる側がお互いに満足できれば、自由で良いと思います。ただ、それは、エネルギーそのものの価値ではないと思います。

僕も、結局は安いとはいえないお金をいただいている訳ですし、あまり偉そうなことはいえないのですが、エネルギーワークが、色々な方にとって、もっと身近なものになると良いな……と思います。

長々とまとまりのない文章になってしまいましたが、読んでくださってありがとうございました。
posted by 在音 at 09:27 | Comment(5) | TrackBack(0) | 雑記。

2007-05-03

高次の存在。

例えば、男性として描かれていたり、男性として伝えられていたりする高次の存在と、何らかの形でコンタクトを取ったとします。対話するまでいかなくても、ヴィジョンを見た、とかでも良いのですが、その姿などが、女性だったとします。
そうなった時に、「本来は男性のはずなのに、女性の姿で出てくるのはおかしい」とか、「自分が繋がったのは、別の存在なんだ」とか、「間違っている」とか……そう思うことも、必要な時もあるのかもしれませんが、少なくとも、頭ごなしに否定はしないで欲しいと、僕は思います。

人間には男女という性別がありますが、肉体的な性別が男性でも、女性でも、必ず、男性性と女性性の両方を併せ持っています。
高次の存在も、同じだと、僕は思います。むしろ、高次の存在であるからこそ、性別などは超越していると思います。

男性として伝えられている高次の存在が、女性の姿で現れたなら、それは、女性性が強く出ているのかもしれません。子供の姿で現れたなら、無邪気さが前面に出ているのかもしれません。老人の姿で現れたなら、老成した智恵を表しているのかもしれません。

いずれにしろ、その姿でコンタクトを取ることが必要だったり、その姿である方が、コンタクトを取りやすかったり、その人にとっては、その姿が、一番受け入れやすい形であったり……何らかの、意味があると思うんです。

現在、色々とお待たせしている状況なので、ブログを更新するのは躊躇われたのですが、どうしても、今書きたい、書かねばならないような気がして、書きました。申し訳ありません。

読んでくださって、ありがとうございました。
posted by 在音 at 04:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記。

2007-01-01

ありがとうございました。

ヒーリング、無事終了致しました。ありがとうございました。
メッセージをいただきましたので、お伝えします。

「雪がとけ、緑が芽吹くように、あなたの才能も花開くことでしょう。一見、雑草のように見えたとしても、それは、素敵な花を咲かせるものかもしれません。世間という『枠』に、自分を押し込めないでください。自由に生きてください」

それでは、ありがとうございました!
posted by 在音 at 23:33 | Comment(7) | TrackBack(0) | 雑記。

2006-11-03

『豊かさ』について。

僕は、アバンダンティアのアチューンメントをさせていただくと、不思議とお仕事が増えたりします。アチューンメントは、クライアントの方にエネルギーをお伝えするわけですが、送る側も、エネルギーと『つながる』ので、こういった効果が出るのだと思います。
いずれにしろ、ありがたいことです。

ただ、思ったのが、アバンダンティアがサポートしてくれる『豊かさ』は、その人の、『許容範囲内』なのではないか、ということです。
例えば、仕事を例に挙げますと、大量に仕事が入る、というのは、確かに『豊かさ』に繋がることかもしれませんが、逆に忙しすぎて、余裕がなくなってしまった……となったら、それは心や精神的な面で『豊か』とはいえないですよね。なので、アバンダンティアのエネルギーは、一番バランスの良い形での『豊かさ』を応援してくれると思うのです。
僕の場合も、『こなせる範囲で』お仕事をいただいています。

他の豊かさに関しても、その人にとって『許容範囲内』であるか、そして、その人がしている努力なども含め、『受け取る準備が出来ているか』が大きく関わってくると思います。叶えたいと思っている願いでも、やはり、突拍子もない願いは、叶うこともあるかもしれませんが、なかなか難しいかも……と思いますし、「叶えたい!」と思っていても、よくよく考えてみると、『実際に叶ってしまうと困る』という願いってあると思うんですね。そういう場合、自然にブロックがかかるのではないかと思います。

ちなみに、フォルトゥナのエネルギーも、アバンダンティアと似ていると思うのですが(内容的にもそうですし、共にローマの女神なので)、先日、アチューンメントをさせていただいたときに、いただいたメッセージで、『相性』があるのだな、と感じました。
どちらと相性が良いのかは、直感で選べば、恐らく良い方と当たると思います。
posted by 在音 at 03:03 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記。

2006-10-30

『体験』するということ。

アチューンメントなどでは、色々な『体験』をされる方と、そうでない方がいらっしゃいます。
もちろん、『体験』したからといって良いということでもないですし、しなかったからといって、悪いわけではありません。『体験』があろうがなかろうが、エネルギーはきちんと伝わっていますし、何の問題もありません。
ただ、やっぱり同じアチューンメントを受けるなら、『体験』をしてみたい、という方が、多いのではないかと思います。

しかし、この『体験』って、比較できないのが難しいですよね。
例えば、僕がこのブログで記事にしているような『体験』は、「何も感じなかった」と言っている方と、同程度の可能性もあります。僕は、浮かんできたイメージや感覚などを、出来る限り感じたり、観察して、文章にしていますが、「何も感じなかった」という方も、本当は色々浮かんでいるのに、「ただ何となく浮かんだりしただけだから、関係ないだろう」と、気にしないで終わってしまっているだけなのかもしれません。
なので、比べられないんです。

それを踏まえた上で、僕なりの、『体験』するコツ、というものをご紹介してみようと思います。
あくまで、これは、僕なりの考えですので、必ず『体験』できるようになる、と保証は出来ません。参考程度に留めていただければ幸いです。


●とにかくリラックスする。
●リラックスする『環境』をいつも似たような感じにしてみる(例えば、僕はアチューンメントを受ける際、使う種類はその時によって違いますが、必ずお香を焚きます)。
●守ってくださっていると思われる存在に、お願いしてみる(僕は、アチューンメントを受ける前に、ご先祖さまや、神さま、その他の存在に、「これからアチューンメントを受けます。どうぞお導きください。お守りください。宜しくお願い致します」と祈ります。終わったら「アチューンメントが無事終了致しました。ありがとうございました」と、感謝の祈りをします)
●期待しすぎない(僕はクンダリーニレイキで、期待しすぎたのだと思います)。
●何か浮かんだり感じたりしたら、どんなに些細なことでも、「単なるイメージだし、関係ないや」、「ちょっと手があったかくなった気がするけど、気のせいだろう」などと思わないで、受け入れてみる。
●上記で浮かんだイメージや、感覚に注目してみる(注目することで、色々広がったりします)。


……こんな感じでしょうか。
それから、こういう『体験』には、イマジネーションも大きく関わってくると思うので、イマジネーションが鍛えられるかな……? という方法もご紹介します。


●読書をする(読むときに、情景などを思い浮かべながら)。
●瞑想をする。
●夢(寝る時に見る方です)に注目する。
●上に関連して、夢日記を書く(ストーリーを全部書こう、と思わないでも、「犬が出てきたな……」と思ったら、『犬』と、キーワードを書いておくだけでもOKです。その後、何か思い出したら、足していったりします)。
●ヒプノセラピー(催眠療法)のCDや、誘導瞑想のCDを色々聞いてみる。
●その他、イマジネーションを使うものなら何でも。


ちなみに、ヒプノセラピーのCDでオススメなものは、メインブログでもご紹介しましたが、こちらです。
http://setsukoy.home.att.net/japtape.html

誘導瞑想だと、ドリーン・バーチュー博士のものがオススメです。
http://www.honokasha.jp/meditation/cd.html

他にも、例えばヒプノセラピーだったら、CDつきの本が、書店で売っていたりもします。誘導瞑想などもあったように思います。
今は、ネットでも、書店でも、ヒーリングショップでも、色々あるので、ご自分に合ったものを探されると良いかと思います。

『体験』するということ・その2。
posted by 在音 at 05:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記。

2006-09-21

「ヒーラーです」。

僕は、縁あって、ヒーリングなどのお仕事もさせていただいていますが、自分のことを「ヒーラーです」とは、中々言えません。
これは、僕自身の実績や、経験がまだ深いものではなく、中々自信が持てないことも関係しているとは思いますが、一番大きなことは、僕が癒しを行っているわけではないから、ということです。

『神』、『宇宙』、『一なるもの』……呼び方は人それぞれだと思いますが、エネルギーの源は、その『大きな存在』であり、クライアントの方を癒すのも、その『大きな存在』です。僕は、単なる『媒体』であり、『伝達者』にしか過ぎません。そして、ヒーリングが行われる時、僕の中にもエネルギーは通るので、僕も、癒されます。
なので、僕が「癒しを行っています」とか、「エネルギーを送っています」というのは、おこがましいように思うのです。そのため、「自分はヒーラーです」と言うことが、躊躇われてしまいます。

けれども同時に、それも違うのかな……と感じたりもします。
自分のことを「ヒーラーです」と言わないのは、ある種の『逃げ』や、『責任逃れ』なのではないか、と思うからです。確かに、ヒーリングエネルギーの源は『大きな存在』ですし、癒しを行っているのも、そうなのですが、僕が『媒体』や、『伝達者』であることを望まなければ、ヒーリングは行われません。自然に行われることもあるかもしれませんが、それは、意識的なものではないですし、実際にヒーリングセッションをさせていただいている時には当てはまりません。
例えば、クライアントの方が、ヒーリングを希望され、僕もお受けして、セッションを行った場合、責任は、僕にも存在します。そのことは、了解しているのですが、無意識のうちに、『大きな存在』に責任を押し付けているのではないか、だから、「ヒーラーです」と言いにくいのではないか……そんなことを考えたりします。

そうなると結局、「ヒーラーです」と言える方が良いのか、言えない方が良いのか、分からなくなってしまうのでした。
posted by 在音 at 05:49 | Comment(5) | TrackBack(1) | 雑記。